愛別離苦 怨憎会苦

 愛の本質は、苦である。
 愛は哀である。
 それを理解しなければ愛の本当の意義は解らない。
 苦しみ悶え、哀しいから人は人を慈しみ、大切にしたいという気が起こるのである。
 愛は哀しい。

 愛する人との出逢いは、有り難い。
 億人という人の間から出逢い、契り、絆を結ぶ。
 その喜びも束の間、別れを恐れて悶え苦しむ。
 人はいつか別れなければならない。
 愛すれば愛するほど、その悲しみは深く辛い。辛い。

 逢うは別れのはじまりである。
 出逢うことがなければ、別れの哀しみを知る事はない。
 しかし、出逢えなければ、生きる喜びも知る事はない。
 幸せは、記憶の中にしかないのであろうか。
 愛は哀しい。
 しかし、哀しく切ないからこそ、愛おしくもあり、また、大切でもある。
 時の流れは無常だけれど、無常だからこそ愛は深まるのである。

 愛は快楽にあるわけではない。
 生きることの摂理にこそ愛はある。
 過ぎゆく時の一瞬の煌めきに永遠の愛を知る。
 それこそが恍惚とした一時(ひととき)なのである。

 あらゆる時を乗り越えると、愛は静穏な状態に至る。
 清浄な魂にこそ真実の愛は宿る。
 全ての喜びも哀しみも愛の力によって浄化され。
 永遠の記憶の中に静止するのである。

 国を愛するからこそ国を憂うのである。
 人々の生活の苦しみに共感するから国を良くしようとするのである。
 愛国心は苦しい。愛国心は哀しい。
 国を想う「こころ」が物狂いをさせ行動へと若者を駆り立てる。
 だからこそ、世の為、人の為に尽くそうという気が起こるのである。

 愛は哀しい。
 しかし、その哀しみの果てにこそ愛の真実がある。
 愛の喜びがある。
 愛を成就した時、共に手を取り、暖め合い。
 穏やかな気持ちになれたなら、永遠の喜びを成就することができる。

 微笑。







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