惚れなさい

誤解しないでくださいね。
良い意味で、世代や性別を超えた共鳴共感、交流というのは、
良いことだと思いますね。

僕は、人間関係の根本は、共感共鳴だと思っている。
それが自主性や個性、独創性を育むのだと思う。
でも学校で教える、自主性、主体性、個性、独創性は違う。
学校では、自主性や個性は、
他人と違うことだと教える。
それでは、共鳴共感は生まれない。
相手に背き、逆らうばかりである。
個性は、あるがままの自分、
素顔の自分にあると思う。
無理に装ったり、気取る必要はない。
自分らしくないのに、個性なんてあるわけがない。
他人と違うか、どうかは、結果に過ぎない。
とにかく、自分に素直になる事。
自分の想いや、気持ちを受け容れる事。
それは、相手にも素直になる事。
素直に感動し、感応すること。
その想いを大切にすること。
惚れると言う事は、魂の共鳴。
心から共感するから好きなんだ。
嗚呼、好きだと素直に感じる事。
大切にしたいと思う事。
護ってあげたいと感じる心。
それを受け容れる事。
だから、共鳴共感には、
素直な心が大切である。
素直に相手を受けいれ、許す寛い心である。

どうせ、俺なんてなんて自分を蔑んでいたら、
恋などできはしない。
恋をすることは自信なんだ。
誇りなんだ。
だから、例え失恋しても、
自信になる。それが恋。

僕は、それに、一種の恋愛感情は、大切だと思っている。
ところが、現代社会では、
健全な恋愛感情を一切認めようとしない。
男と女の問題を肉欲でしか理解できないのである。
さもしいことである。

ぼくは、何も異性間だけでなく、同性間でも、健全な意味での恋愛感情を持つというのは大切だと思う。
同性間で恋愛感情を持つなどと言うと、
同性愛だなんて現代人は決め付けてしまうけれど。
そうじゃあない。
性に結びつけない、もっと純粋な想いですよ。
それを素直に表出したい。

むろん、同性愛そのものを否定しはしないが・・・。

大体、尊敬する師に対する感情もですね。
指導者に対する思いもですよね。
惚れたと言っても良いんじゃあないですか。

結局僕は、人生は、惚れた、はれただと思っていますから。

そして、僕は、惚れる対象というのは、
第一に、事業に惚れる。第二に、人に惚れる。第三に、異性に惚れることだと思います。
現代人は、三つ目の異性に惚れることばかりを問題にしている。
昔は、主君に惚れたり、事業に惚れると言う事の方が大切にされたのにですね。

何事でも、その根本に惚れると言う事がないとと虚しいと思います。
それを性欲に還元してしまうと人生も哲学も解らなくなる。
肉欲だけでしか、人間関係を見られないのは、嫌らしいし、猥褻です。
僕は、猥褻というのは、歪められた意志と定義しています。

もし、才能に惚れているならば、
それは、それで一種の恋愛感情だと思いますね。
その才能を認め伸ばしたいと純粋に思うのならばね。

それが男と女の関係に発展するかしないかは、別に良いじゃあないですか。
それはまた別の話。

師弟愛や、同志愛なんていくらでも過去はあったんですよ。
キリスト教徒は、キリストに対する恋愛ですよね。
そう言うのがないと考える方が不自然です。
僕は、そう言う意味で欲得を離れて恋をするのも良いじゃあないかと思います。
恋せよですよ。

あこがれですよ。
ドンキホーテの恋ですか。



古典的映画に「ある夜の出来事」というのがあります。
若い男女が、一緒に旅をして、一緒の部屋に寝ているのに、何事も起こらない。
それが信じられた時代なんですよね。
今は、同じ屋根の下で同衾して何も起こらないと考える方がおかしいとされる。
でもね。意志の問題ですよ。
それも男の意志の。愛する者を守りたいと思えば、男は自制する。
それが男の美学でした。
その美学というか、ロマンがない。
あるのは、エログロナンセンス。
これ自体が一つの思想なんですけど、現代人は、それを単なる社会現象としてしか捉えない。

恋愛の根本は精神ですよ。
肉欲、性欲ではない。
ある意味で純愛なんです。
現代風解釈では全て同性愛になってしまう。

その結果、最澄も同性愛者になる。
また、信長も然り、極端な話、キリストだって。

それは、精神と肉体とを同一視する。
そう唯物主義の弊害ですね。

僕は、どんどん恋愛をすればいいと思います。
それが錯覚だって良い。
自分を命を燃焼させるような恋をすればいい。



よくいつでも恋をしていなさいと言われますが、
それは、精神的な意味ですよね。
ところが今では、それをもろ性欲に置き換える。
精神的な恋は爽やかですが、
性欲というのは、むき出しの欲望ですよ。
ドロドロとしている。
まるで異質ですよ。

そう言う意味では、心理学者や評論家は、
多くの芸術家を同性愛者のように扱う。
だから、どうなのと言いたくなる。

どこか、偉大な人をただの人間に卑しめて、
それが人間的で良いみたいな。

何でもかんでも、弱くて悩んでいるのが良いと・・・。
何が言いたいの言いたくなりますね。
どんな人間だって悩みや欠点の一つ二つはありますよ。

自分が怠惰に一生を送るための言い訳にするなと言いたいですね。

それでいて、世の中の常識からかけ離れた人間、欲望をむき出しにした人間を賞揚する。
今、テレビに出てきて人生相談なんかしている人間を見ていると
なんだか、西遊記の妖怪変化みたい見えてくることがありますね。

僕は、精神的な恋はどしどしすべきだと思います。




        


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