自分を愛する大切さ

自愛。
自愛、自己愛というとナルティストを思い浮かべてしまう。
しかし、自愛というのは、自惚れとは違う。
あるが儘の自分を、愛する事を言う。
自分らしさを素直に受け容れる事を言う。
自惚れている者は、自分が良いと思う、思い込んでいるところばかりを見て、強調しようとする。
自惚れる事と自愛とは違う。自惚れは幻想である。
自分のあるがままの姿を見ようとせず、ただ自分の良い所ばかりを見ているに過ぎない。
自惚れてる者に時は残酷である。
自愛とは、老い衰えていく自分をも愛する。自分の生を慈しむ事である。
自愛とは、あるが儘の自分のあるがままの姿をあるがままに受け容れる事から始まる。
人間、誰だって自分の厭なところの一つや二つはある。
劣等感に苛(さいなや)まさられるものさ。
だから、どうだって言うの。
それで自分を愛せなくなるなんて嘘だよ。

若い頃は、誰からも認められず。
それこそ、惨めに思えるような人生でも最後まで諦めなければ思いが掛けないチャンスが廻ってくるかもしれない。
どんな人生だって嗚呼幸せだと思える一瞬はあるさ。
野球だって試合が終わってみなければ勝敗は解らない。
初めのうちはボロ負けしていたって最後まで諦めなければ、土壇場で大逆転という事だってあるさ。
兎に角、嗚呼駄目だと途中で投げ出さないことだよ。
九回の裏、満塁、ツーアウトでバッターボックスに立たされることもあるかもしれない。
そんな時、勝っても負けても、一世一代の見せ場、花道だって思えるかだよね。
誰も褒めてくれないなら、自分で自分を褒めよう。
あるが儘の自分を愛することさ。

結局、
自分が納得のいく生き方が出きるかどうかである。
自分が納得づくでしたことなら、失敗したって挫けたりしない。
同じ失敗でも自信にならないような失敗はすべきではない。
成功したって自分の力で成功したという実感が得られなければかえって自尊心が傷つけられるだけである。
自分らしい生き方をするしかないんだ。
他人に憧れることは悪いとは思わない。ただ、それが高じて自分の生き方を否定して、その人の物真似の生き方しかできなくなったら元も子もないじゃあないか。
どんなに憧れてもその人に取って代われるものではない。
例え、代われるとしても所詮は、自分が自分でなくなるだけである。そんなの惨めなだけだ。
端から見て羨ましく見えるような王侯貴族やスターだって、人並みに悩みはある。
権力や富を持てばそれも、また、業になる。苦しみの種は尽きない。
所詮、人間は、生病老死の苦しみからは逃れられないのである。
不器用な奴が器用な奴に憧れて、器用になろうとしたって容易になれるものではない。
不器用な生き方しかできない奴がさ。器用な生き方しようなんて思わないことだよ。

他人の功績を奪ったところで本当の満足は得られない。
人まねばかりじゃつまらないじゃないか。いつ自分を出すんだ。
借り物の人生なんてつまらない。
自分で決めろよ。自分の人生なんだからさ。
言われるがままに生きたって情けないだけだろ。
しっかりしろよ。しっかりしようよ。
人に言われたから、やったと言って誰も納得はしない。第一に自分だって納得しないだろう。
周囲の人間の目を気にしてばかりいたら自分がなくなってしまう。
自分のない人生なんて虚しいばかりである。
最後は自分なんだ。

でかすぎたって、高すぎたって、小さすぎたって、低すぎたって、肥っていたって、痩せていても。頭が悪かろうが、ぶっきらぼうでいようが、愛想がなかろうと自分は自分なんだ。

結局、自分らしい生き方しか、自分を幸せにはできないのだ。
だから、あるが儘の自分を受け容れ、愛する事。
それが自愛である。

父の死


四月十九日、父が死んだ。
あれから三カ月がたつ。

父は、生一本で、曲がったことが大嫌いで。
何でも愚直に筋を通そうとする。
実直で、頑固で、一刻な性格だった。
不器用で、真っ正直な生き方しかできない。そんな父だった。

父の人生は、九十年を全力で駆け抜けたような一生だった。
一本気に己を貫き通した生き様だった。
父は、自分の生き様を見せることで、私に、男の生き方を教えてくれた気がする。私は、父の背中を見て生きた。
今の人は、周囲の空気に迎合し、器用に立ち回る方が賢い生き方のように言う。それが、若者達に周囲の目を気にして伏し目がちな人生を歩ませてしまう。
しかし、世の中には、父のようにただ真っ直ぐに生きて幸せな人生を全うできた人間もいる。
それが私には、一番の教訓だ。だから私は、前を向いて歩いていこうと思う。
父は、小学校しか出ていない。でも私は、そのことを恥じたことは一度もない。むしろ、私は、裸一貫から事業を興し、ここまで頑張った父を誇りにこそ思う。
父と共に仕事ができて、本当に幸せだった。
三十代、四十代の時の父の写真を見ると微塵も迷いを感じさせない。
自信と誇りに充ちている。
父は、一生懸命生きた。
何事にも全身全霊で撃ち込んできたのだ。
笑いたい時には、腹の底から笑い。泣きたい時には、心から泣き。怒るときは、本気で怒る。
父は、手打ちが好きで、食事中であろうが団欒中であろうが、興がのればどこでも三三七拍子を拍たされだ。そんな父だった。
天真爛漫に生きた。
思えば、父は幸せだったと思う。
父は、常に、本気だった。それは、戦争をはじめ幾多の修羅場を潜り抜けてきた父の人生がそうさせたのだと思う。
その点、私は、どこか疑り深く、手を抜くという訳ではないのだが、全てを忘れて撃ち込むという事がなかなかできなかったと思う。
でも、これからは、そう言うわけにはいかない。
戦争を生き抜いてきた世代がいなくなった時、私ども手でこの国を護り、次の世代へとよりよい社会を引き渡していかなければならない責務があるからだ。少なくともその思い、覚悟が、父に対するせめてもの恩返しだと思う。
一回、一回、真剣勝負。この瞬間に全てを賭けて決断をしていかなければならないと覚悟した。

社葬にて


前略 親父殿。
親父が逝ってからもう三カ月がたちます。
朝、目覚めた時。
街を歩いる時。
澄み渡った夜空の星を見ている時。
背中に通り過ぎる風を感じた時、振り返れば、
そこに、いつもと変わらぬ笑顔で親父が立っている気がすることがある。
でも、ハッとして振り返ってみても親父はいない。
そして、いつも、決まって嗚呼もう親父はいないんだという寂寥感に襲われる。

私にとって親父は、そこにいてくれるだけで良かった。
その存在の大きさに今でも圧倒される。

日がたつにつれ記憶は薄れていくどころか、
心の奥底に刻み込まれていくみたいだ。

なぜというのは、虚しい。
でも、なぜ人は死ぬのだろうと問わずにはいられない。

親父。自分にとって常に親父は輝いていた。
誇りだった。自慢だった。
それは今でも変わらない。
私は、親父と一緒に仕事ができて幸せだった。
誇りに思う。

私にとって親父は、父と言うより、男だった。
男の生き様の全てを親父に教えられた。
だから、親父に認められたくて全力で働いてきた。
親父はいつだって寛容でおおらかだった。
私は、親父から叱られたという記憶がほとんどない。
ただ、じっと私を背中から見守っていてくれた。それが親父だ。
そして、全幅の信頼をもって私を支えてくれた。

親父にとって大切なのは、言葉ではなく。行動だ。
どんなに美辞麗句を並べても行動が伴わなければ許してはくれなかった。
やると決めたら、断固としてやる。
約束は守る。
男は、弱音や泣き言は吐かない。

私が大学に合格したとき、何も言わず、学帽を被って俺の前で踊ってくれた。
それが私の親父だ。
私が酒に酔いつぶれた時、だきかかえるようにして家の中に連れって行ってくれた。

私が子供の頃は、
六畳一間に裸電球、蜜柑箱から皆、所帯を持ったものだ。
焼け野原になった日本で、食いっぱぐれ、その日の食べ物にも困った連中が肩を寄せ合い、励まし合って生きていた。
うちにも住み込みで働く人達が沢山いた。文字通り同じ釜の飯を食う仲間達だ。
新聞紙を敷いて車座になり、或いは、屋台で酒を酌み交わす。
何もなかったけれど、信じあえる仲間がいた。

それが、子供の頃に垣間見た大人達の世界。
その中で、親父は遠いところでいつも輝いていた。
その仲間達も一人消え、二人消え。
そして、今また、親父も、俺の手の届かない遠い世界へ行ってしまった。

でも、親父、親父がいなくなったとしても、私には何も変わっていないようにしか思えないんだ。変わってはいけないと思うんだ。
変わったことがあるとしたら、我々の心の方だと思う。
どんな時でも助け合い、かばい合っていこうとする気持ちが失せてしまったことだと思う。心が荒んだことだ。
親父は、男気がない奴は信じられないといつも言っていた。
変わったとしたら男気や侠気のある男がいなくなってしまった事だ。
我々が、男気や侠気を取り戻しさえすれば何も変わってはいない。

我々が引き継いでいくべきなのは、親父達の魂の部分なんだと思う。
初心原点に帰らなければ、そして、新しく出直すんしかない。私はそう思う。あの頃のように・・・。

なぜ人は、限りある人生を無為にすごしていくのだろうか。
人は皆老いやがては死すべき運命にあるというのに・・・。

親父。私は親父のこと忘れたりはしないよ。
大体、親父は今でも私の心の中に生きているから。
親父は、親父だよ。
死んだ今でも何も変わりはしない。

だから、さようならというのはよそおう。
ただ、黙って見ていてくれ、そうとだけ言おう。        草々






        


このホームページはリンク・フリーです
ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2011.7.14 Keiichirou Koyano