プロローグ



 二十世紀は、革命と戦争の時代と言っても過言ではない。ありとあらゆるものを対立的に捉える。だからこそ、この世は、争いと葛藤の場、修羅場になってしまう。果てしない憎しみと殺戮。大量虐殺。人類滅亡の危機。
 愛もまた例外ではない。

 自由な愛を、おのれの欲望の赴くままに行動する事かの如く言いふらし。また、自らも思いこみ、錯覚している者が多くいる。彼等に煽(あお)られ、欲に駆られて周囲の人間達と摩擦を起こし、破滅していく者がいる。彼等は、人間関係をズタズタにし、自分自身もボロボロになり堕ちていく。周囲に毒をまき散らしながら、堕落していく。自分の破滅的行為を彼等は、純粋の愛だと思いこんでいる。不倫。浮気。心中。ストーカー。強姦。陵辱。道ならぬ恋。
 純粋の愛は、いかなる規律にも縛られないと彼等は放言する。とんでもない。
 それは、エゴであって愛ではない。妄執である。己の欲望に身を委ねることで、自制心、抑制を失い、社会の掟や決まりに背かざるをえなくなるからに過ぎない。
 愛は、本来、自分に厳しいものである。愛の掟は、自分の心の内にあるものである。世間の掟などより余程厳しい。内心の規律である。欲望の赴く(おもむく)ままに行動することではない。恕(じょ)である。
 愛は、人を傷つけるものではない。人と人との営みに背かせるようなものでもない。愛は、憎しみや憎悪をかき立てるものではない。人と人を争わせ、背かせ、憎しみや諍いの坩堝に放り込むようなことでもない。
 愛は、許しである。愛は、寛容である。愛は、和みである。愛は、たおやかなものである。愛は、穏やかなものである。愛は、平和である。愛は、ひろやかなものである。

 愛は、対立ではなく。融和であり、合一であり、一体化である。共感であり、共鳴である。

 愛は、男と女の間にのみあるのではない。愛は、何処にでもある。愛を男と女の間に矮小化し、さらに、性欲と同義語にして、愛の本質を失わせた者がいる。そして、この世から愛の本質、愛の真実、愛の魂を抜き取ったのだ。
 魂のない肉体は、屍にすぎない。醜いだけだ。やがて朽ち果てる運命にある。それなのに、愛の抜け殻を真実の愛に装って、人々を誑かし(たぶらかし)、迷わせる者達が、この世を我が物顔で徘徊する。

 自由な愛といいながら、自分の内面の世界を疎かにしてきた。見失ってきた。だから愛が醜く変質をし、まるでホラー映画に出てくる亡霊のように、人々を怯えさせ、平安・平和な世界をかき乱す。
 妄執。執念。執着。偏執。倒錯。怨念。怨恨。嫉妬。妬み。嫉み。恨み。辛み。猥褻。卑猥。猥雑。淫乱。淫蕩。放蕩。愛の抜け殻がこの世を彷徨い(さまよい)歩く。それでも、かけらほどの愛さえ残されていれば、真心にも、思いやりにも、情けにもなりうるけれど。愛がなければ、それは愛の抜け殻、愛の屍に過ぎない。魂の抜けた愛は、愛の亡霊。
 愛の亡霊達は、愛の名の下に争いや諍い(いさかい)の種をまき散らす。

 愛の亡霊達は、親子を争わせ。夫婦の中を引き裂き。組織の規律をぶち壊し。国家と国民を対立させる。そして、世界を混乱の際(きわ)へ、無秩序へと導くのである。

 自愛。父母の愛。夫婦愛。家族愛。友愛。同志愛。郷土愛。愛社精神。愛校心。愛国心。人類愛。それらは、一つである。一つであるはずだ。
 愛に背かせ。愛を裏切り。愛を捨てさせる。それを愛故にと愛の性にする。
 違う。それは愛ではなくエゴだ。醜いおのが妄執である。

 対立から融和へ。戦争から平和へ。憎しみから愛へ。
 真実の愛を取り戻さないかぎり、この世に恒久的平和は訪れない。二十世紀が、革命と戦争の世紀ならば、二十一世紀は、愛と意志の世紀にすべきなのである。






          


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