恋   愛



 人は、なぜ恋をするのだろう。報われる恋ばかりではないというのに。それに、いくら恋をしても哀しい別れは必ず来る。愛すれば、愛するほど、別離の哀しみは深い。
 別れの哀しみがどれ程辛いかを知っていても人は、人を愛さずに入られない。なぜ、それを問うたところで虚しい。何が何でも愛さずには、いられないからである。

 どんなに言葉を費やしたとしても、愛の実相を伝えることは難しい。しかし、人を好きになれば、たちどころに愛の意味を知る事ができる。愛は、観念ではなく、現実。愛する事。愛は、実践。

 全ては出逢いから始まる。出逢いから愛は始まる。
 好きになってしまえば身も蓋もない。何もかも投げ捨てても、愛する人と一緒にいたい。新しい世界、生活が始まる。出逢ったときから全てが変わる。それが恋。

 人を愛するとはどんなことだろう。好きで好きでたまらないという激情が過ぎ去り、お互いがお互いを冷静に見つめ合った時から真実の愛は始まる。
 あばたもえくぼ。激しい想いが覆い隠していた相手の嫌なところも、欠点も白日にさらされる。伴に生きていくとはそう言う事。見たくない、知りたくないところも、見せられ知らされていく。つまり、在るが儘の相手を在るが儘に受け容れていくこと。
 受容。そして、変革。

 愛を知れば何もかもが変わる。それまで色褪せて見えた街も、みすぼらしい部屋も、ちっぽけな自分も、全てが変わる。輝き出す。それが愛。生きる真実。
 恋は、自分を変える。自分も相手も変える。変わらなければ、相手を受け容れることができない。恋をすれば変わる。変わっていく自分を許すことができる。過去の自分を捨てるさることができる。しかし、愛を成就したければ、相手を受け容れ、自分を変革しなければならない。
 愛は、所詮自分との戦い。葛藤。

 愛は、思いやり。優しさ。絆。

 そして、愛は、融合。一つになる事。身も心も一つになる為の過程。愛する者と一体になることによって自己はこの世に実現する。愛は、自己実現の究極の姿。
 愛は、寛容。相手を許すこと。許し合う事。信じ合う事。だから、愛は救済。相手が許せなくなれば、相手を受け容れられなければ愛は、成就しない。愛の抜け殻。愛の屍。愛するとは、相手の何もかも受け容れる事。引き受ける事。

 愛する事は自由。そして、愛するが故に自由になれる。人は、愛する事によって自由になれる。愛は、自己実現の究極的姿だからである。だから人は愛さずにいられないのである。






          


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