郷土愛



 私は、東京で生まれ。東京で育った。私の故郷は、東京下町である。口の悪い奴は、東京なんて人の住むところではないなんて言うが、それでも、私には、想い出の沢山詰まった懐かしい故郷である。

 生まれ育ったところには、格別の想いがある。確かに、故郷を快く思う者ばかりとはかぎらない。嫌な想い出、思い出したくないことが多い者も沢山いる。しかし、それでも、故郷は大切である。

 故郷とは、心安らぐ場所。回帰する場所。懐かしい場所である。だから必ずしも生まれ育った場所を指しているとはかぎらない。ただ、自分にとって原点となる場所である。自己を形成した場所である。

 郷土、それは、自分が生まれ育った場所と今現に住んでいる場所、自分の生活の基盤がある場所である。

 郷土愛というのは、最も生々しい感情である。複雑な感情である。それは、親子兄弟、夫婦間の存在するような利害と直接結びついた感情である。だからこそ、大切なのである。

 郷土愛は、民主主義の原点である。我々の生活や生き様に密着した土地、それが郷土である。そこで生まれ育った者も、また、他の土地から移り住んできた者もその土地で生活していくためには、その土地を良くしていかなければならない。争いがあったとしても、いつまでも憎み続けていたら、将来に対する禍根を残すだけである。世界中には、内乱や戦が続いている地域が多くある。そこに住む住民達の苦しみは、計り知れないものがある。それこそが、人類最大の悲劇の元凶なのである。

 現代人は、理念や思想に振り回されすぎる。肝心なのは、自分の生き様であり、自分の思いである。自分本来の想いを素直に吐露できないから辛く苦しいのである。
 理論や理想で飯は食えない。人間は、先ず生きていかなければならない。生きていく為には、時には、妥協せざるを得ない時もある。それが現実である。頑なに自分の考えや立場に固執するのは、悲劇を長引かせるだけである。だからこそ、愛が必要なのである。自分達が住み、自分達を育んでくれる土地を愛し、感謝する心それが郷土愛である。
 人に恵みをもたらすのは、大地である。人が、自分の理ばかりにこだわって自分を生かしてくれている天や地に感謝する心を失うことが、悲劇の根本にある。それは、人間の傲慢さの所産である。
 人を生かす者、それが神である。観念ではない。事実である。自分を生かす郷土を荒廃させ、退廃させることは、いかなる道義をもっても許されない。

 理念や観念を越えたところにある郷土愛。自分を育んでくれた、海や山や川に対する思い。それが、対立や争いを終わらせてくれる。だからこそ、話し合いが成り立つのである。郷土愛のない者とは、話し合う余地がない。この土地を良くしようとするから話し合うのである。さもないと争いは、止まない。だから、郷土愛は、民主主義の原点なのである。

 郷土への愛があるから、我々は、幸せになれるのである。郷土が与えてくれる恵みがあるから、人は生かされるのである。
 こだわりを捨て。執着心を捨て。過去からの因縁、因習、わだかまりに囚われずに、透徹した目で今、現実を直視し、何が、今、正しくて、なにが、今、必要なのか、それを見極める勇気が欲しい。それが郷土愛である。

 その土地に住む者には、長い歴史と伝統がある。文化がある。生活がある。生まれ、育ち、生活をし、そして、子供を産み育て死んでいく。郷土には、人生の軌跡がある。自分が生きてきた証がある。

 昔は、何処にでも、世話役が居た。店子と言えば子も同然と大家が何くれとなく世話を焼いてくれたものである。人情がなくなったのである。それは、土地に対する愛着がなくなったからである。地域社会で人々が、助け合うこと。その互助の精神こそ民主主義の原点である。利害を調整することばかりが能ではない。助け合うことこそ本義である。

 終の棲家(ついのすみか)を見つける。それとも過客(かかく)となるか。人の一生は、それで定まる。自分の一生を終えても悔いのないところを見いだせた者は、しっかりと大地に根を張ることができる。自分の居場所を定められぬ者は、結局、浮き草のような人生を送ることになる。生きるにせよ、死ぬにせよ。思い定めた場所をもつ事である。それは、愛する事である。自分を生かしている、家族を育て守っている大地、土地に感謝することである。愛する事である。自分の郷土を愛することである。その感謝する気持ちがないから、傲慢になり。愛する気持ちがないから、土地を汚すのである。

 故郷を持たぬ者、故郷を愛せぬ者は、不幸である。例え、それが生まれ育った場所でなくとも、心の故郷を人は持つべきである。

 生まれ故郷の悪口を言う人間を、私は、信用しない。確かに、良い想い出ばかりではない。しかし、それでも、自分が生まれ育ったところは、自分の人生の原点である。故郷の悪口を言うのは、自分を蔑むようなことである。郷土を批判するのは、郷土を良くする為にである。決して悪く言うためではない。郷土愛がない者が何を言っても無駄である。それは、郷土を荒廃させるだけだからである。

 自分達の形勢が不利になった時、他所に加勢を頼むことは良くある。しかし、それで事態が好転した試しはあまりない。かえって事態を拗ら(こじら)せるだけである。

 現代人は、自分の古里を喪失しつつある。故郷を失った代償として、無謀な乱開発、環境破壊、大気汚染、戦争、公害、人心の退廃を生み出してきた。ウサギ追いしあの山、小鮒釣りし、かの川と歌った心は今どこへ行ったのであろうか。残された物は、見るも無惨な景色である。それを文明といい、それを発展というのならば、そのような文明も発展もいらない。
 故郷を愛する心、それこそが人類を救うのである。






          


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